【為替賭博録レンジ】の部屋。

底辺からどこまでいけるか試します

7/13

昨日はなんとか勝トレードで終えることができた。

戻しにやられかけたがロットを一つ落としたことが功を奏したと言える。

 

CPIは最近本当によく動く。

数年前はそんなに気にしない指標だった気がするのだが。

色々と相場の世界もこれからも変わっていくのだろう。

今のやり方がいつまで通じるのかは知る由もないが

一抹の不安は付きまとう。

 

まぁそんなこと考えたところで仕方ない。

 

私情だが(というよりここには私情しか書いてないが)近々家を買う予定をしている。

 

買うといっても義母の住んでいる一軒家を買い取って少しリフォームするだけなのだが。

 

元々俺は持ち家VS賃貸抗争では賃貸派である。

 

理由はまぁ色々あるが1番は「大きい借金をしたくない」がある。

 

借金自体が悪いとは考えていない。

車のローンなんかは平気で組んでいるし

これまでも借金したことは何度もある。

 

が、住宅ローンは長すぎる。

35年間当たり前のように返済出来ていく保証なんて無さすぎる。

そこに不安を覚えるので躊躇するのだ。

 

だが、今回の話は義母に家を売ってもらうという話で

田舎ではあるが田舎なりにそこそこの立地なので

家の売値と土地の評価額がほぼ同じである。

 

ということはリフォームにいくら掛けるかに寄るが

フルローンでも数百万の借金で済む。

 

それならまぁ家を持つのもアリかな?という結論に至った。

 

住宅事情には全く明るく無いためこの考えが浅はかなのかすらも分からないが

郊外に新築一戸建てを建てるよりかはマシなんじゃないかと思っている。

 

そもそもそこまで家にこだわりはない。

昔から貧乏だったので家も小さくボロかったし家にいるより友達の家に泊まることの方が多かった生活だったので

住まいは正直どこでもいい。

 

なので借金というより家を買うための借金にあまり前向きでないのかもしれない。

 

「借金」聞こえは良く無いが仕組みは利用するべきだと思う。

 

俺は19-25くらいまでよく後輩に言ったりしてたが

「どうせ将来今より金は稼げるようになるから若いうちに借金して金使って旅行しまくった方が良い」

そんな考えた方だった。

 

これは今も変わらない。

 

世の中の色んな楽しいことは

大抵年を取ってからだと十分に楽しむことが出来ない。

また、その経験を活かしたりすることは若い時の体験でないと出来ない。

そして若い感性の内に刺激的な経験をすることで

自分の中の成長が何倍にも加速すると思っている。

 

言い換えれば

「老いてからいくらお金を使って新しい経験を積んでも感性に響かないしその後経験を活かせる機会も少ない」のだ。

 

これは完全に俺の偏見なので真に受けてはいけない。

 

これはFXをする上でも考えていることで

例えば1年間プラスで終えれる力がついたのなら

そのお金プラスα借金をしてしまって

 

その大きいお金を使ってロットを拡大して

もっと稼ぎを加速させたいと思っている。

 

俺はこれをそんなに無茶な話ではないと考えているし

事業の拡大も投資→利益→再投資→利益拡大

が基本である。それと同じなのだ。

 

相場はいつ今のやり方が通じなくなるかわからない。

 

だからこそ、通じる間に借金してでも大きく増やしておくことも戦略としてありなんではないかと思っている。

 

 

23/7/12

俺の取引先に「梅田さん」という人がいる。

 

関西ではなんて事のない名前だが

ふと音読みしてみてしまった。

 

「梅田(バイデン)さんって読めるな…」

 

大統領選中は結構イジられたんだろうか?

 

そんなことばかり考えている。

 

もう一つだけ

 

俺は通勤時間に大体ポッドキャストを聞くかYouTubeを聞き流して運転しているのだが

今日は成田悠輔×羽生善治さんの対談動画を聞き流していた。

 

とても興味のあるお二人の話、さぞ面白いだろうと期待してみた。

 

もちろん序盤からインテリジェンスで面白かった。

ただ話のターンが羽生さんから成田さんに切り替わった時

 

その話を聞いている時の羽生さんの「相槌」の仕方があまりにも気になってしまった。

 

なんというか、とにかく「はい」の数が多くて

食い気味で、トーンも気になった。

 

もちろん羽生さんは尊敬しているし

大局観という本も読ませてもらった。

(図書館で借りてだが)

 

ただ、この相槌の仕方だけは何とも耐え難いものだったので

途中で聞くのをやめてしまった。

(その後聞いた成田さんと養老孟司の対談も話が弾まなさすぎて気まずいやつだったが…)

 

話し方もそうだが、聞き方も本当に人それぞれ個性がある。

そしてどんな相槌、話し方が良いかはTPOによって変化するしあまりに飾っても違和感がある。

 

仮にプレゼンや、壇上で話すようなシチュエーションであれば

正解と呼べる話し方はあると思うが

聞き方となるとなかなか正解の定義が難しい。

 

プラス人に「あなたの聞き方は良くないです」と注意はかなりしにくい。

 

明らかな横柄な態度とかは論外として

至って本人は悪気のないパターンはかなり難しい

 

まさに羽生さんはそんな風に感じた。

 

あくまで俺個人の感じ取り方でしかないが。

 

ちなみに相槌を「はい」ではなく「うんうん」という人も嫌いだ。

 

まぁこんなところにしておこう。

 

昨晩はトレードできずじまいだった。

というより我慢しきれずエントリーしたが明らかに違うとなり微損で済んだ。

 

今週はなかなかチャンスが現れない。

 

というより俺にとってのチャンスが来ない。

 

そんな日でも勝てている人はいる。

そういう報告がTwitterを見てると流れてくる。

 

それを見て「やり方を変えれば今日みたいな日も取れるのか」

と考えてしまい、現状のスタイルを崩してしまう。

 

そして次の元々のスタイルで取れたであろう波に乗れず

変えてみたスタイルでのチャンスが来ない…

 

これが俺の常だ。

 

2年トレードしてきてようやく腑に落ちた。

 

やりやすい期間とやりにくい期間が

どんな手法であれ周期的にある。

 

トレンドかレンジか

デイトレかスキャか

値幅か回数か

 

どちらかを選べばその逆は取れないことになる。

 

この当たり前を受け止めるのが難しい。

初心者の時期を過ぎたトレーダーであっても

出来れば毎日トレードして毎日プラスで終わりたい。

この欲求はなかなか収められない。

 

「何もしない」

 

これがいかに難しいかを身をもって実感する

 

何もしないを実行できるのは

・常に勝ち続けられるという自信と実績があり

・今日じゃなくてもいつでも取れるという余裕があり

・別にトレードしなくても十分な資金がある

そんな人だろう。

 

俺はどれも持ち合わせていない。

 

そんな人間に何もするなはかなり酷だ。

 

 

 

なんだか今日は話が良くわからないが

 

今の相場は俺には向いていない。

が、向いている相場が来るまで待つしか無い。

 

それが言いたかっただけなのである。

 

23/7/11

界隈では初心者に向けてよく

 

「一貫性を持つことが大切」

 

と説かれることがある。

 

この一貫性とは一体何を指すのか?

それをイマイチ理解できていない時期があった。

今も理解できているかはわからないし、これから話すことは俺の詭弁である可能性も高い。

 

まず「一貫性」と混同されがちなものに

「ルール」という考えがある。

 

監視通貨を絞る

時間帯を限定する

ロングかショートどちらかしかしない

ロット調整をする

損切り幅を明確に決める

ナンピンしない、ハイレバしない

 

これら全ては「ルール」である。

 

俺は元々上記に挙げたような内容を

毎トレード守っていくことが「一貫性」だと思っていた。

 

だからトレードする場面も

上位足が〇〇な場面で

インジケータが〇〇な値、形になった時に

〇〇なタイミングでエントリーする。

損切りは〇〇、利確は〇〇

 

といった具合に予めマイルールをきめておいて

これを愚直に実行していくことが

「一貫性」であると思っていた。

 

しかし、今書いたような内容は

「ルール」を守っているだけであり

「一貫性」をもっているとは言えないんじゃないかと思っている。

 

では、「一貫性」とは何か?

 

それは思うに

「いかなる時も自分の決めたスタイルを貫き通すこと」

 

なんじゃないかというのが今のところの結論である。

 

もちろん最低限のルールは必要であるし

それがないと何の指針もないデタラメなトレードになってしまう。

 

ただ、ある程度のルールを持ってして

後は自分の決めたスタイルを崩さないことが重要なんだと思う。

 

テクニカルを自律させるのが「ルール」

メンタルを自律させるのが「一貫性」と

考えると俺的にはわかりやすい気がする。

 

その日その場で環境認識をして

毎日利益を上げ続けることができることが

最高のトレーダーであることは疑いの余地もない。

 

では果たしてそんなことができる人が何人居るんだろうか?

 

結局はどれだけ分析したとて

結果は相場次第でしかないこの相場という場所で

毎日変化する値動きを当て続けることなんて出来るんだろうか?

 

というよりもそこまで腕を磨く必要はあるのだろうか?

 

みんなお金が欲しくてトレードしているわけで

値動きを完璧に読めるようになりたいわけではないはず。

 

であるならばお金を稼げるだろうという期待値があるやり方さえ作れればいいんじゃないか。

 

少し脱線してしまったんだが、

 

結論として俺は思う「一貫性」は

「相場で起こる誘惑に惑わされない心」

であるとかんがえている。

 

Twitterなんかを見ていると

毎日誰かは利益を出している。

でもそんなことは気にする意味もない。

 

みんなが同じトレードをしてないからこそ

売りと買いが成立するのだ。

 

だから自分が取れなかった波を悔やむ必要はない。

逆に自分は取れて他者が取れない波もある。

 

レンジ狙いの人はトレンドの時には指を咥えて待つか、いらないトレードをしてしまう。

 

トレンド狙いの人は展開がレンジになると負けてしまう。

 

当たり前だが、相場の一寸先は

レンジにもトレンドにもなり得る。

 

その結果は相場次第でしかない。

 

なら、こちらは値動きの誘惑に惑わされずに

一貫した心持ちでトレードと向き合うしかないのである。

 

 

 

23/7/10

週明けの朝から書いてみる。

 

今週末はしっかりと娘と向き合った。

土曜日は妻が仕事だったのため終日娘と2人で過ごしたが

朝から公園に遊びに行き、徒歩圏内の図書館に立ち寄ったり、2人でファストフードを買って帰ったり、一緒に昼寝したり。

 

特段いつもと変わらない過ごし方ではあったのだが一つ大きく違うのは

俺のメンタルの状態だった。

 

先週もトレード成績は全く振るわなかったが

それを引きずることなく娘と向き合えた。

何故そんな精神状態になれたかはハッキリとわからない。

 

ただ明らかに心に余裕があったので娘に強く接することもなく

上手く話を聞いてくれないタイミングもイライラせず接することができたと思っている。

 

その甲斐あってかとても娘は楽しく過ごしてくれていたように思うし機嫌も良かった気がする。

なによりいつも必ずお昼寝、夜寝はママとしか寝ないと言うのに日曜の昼寝は「パパと寝るの」と言ってくれた。

 

だいたいその後やっぱりママと寝ると言い出すのだが

この日はすんなり寝てくれた。

 

娘の心は俺には知る由もないが

多分子どもは親の精神状態も敏感に察知しているんだろうと感じた。

 

親がイライラしていたり焦っているのを子どもは見透かしているし

そうすると子どもは親が何でイライラしているかはわからないけど

「自分のことを見てくれていない」と感じてしまう

向き合ってくれていない、愛情がこっちに向いていないと感じるのだろうか。

 

そして振り向かせたいが為に

わざとかどうかは別として駄々をこねてみたり

素直に言うことを聞かない「フリ」をするんじゃないかと。

 

それは本当にわがままを言っているんじゃなくて

ただただ親にこっちを向いて欲しいからやっているんじゃないかなと。

それが本人の意思でやってるかは別として本能的にそういう意識が備わっているんじゃないだろうか。

 

からしっかりと100%で向き合うことが出来れば

案外すんなりこちらの話を受け入れてくれることも多い。

 

ただ、その100%向き合うことが本当に難しい。

それは身をもって実感する。

親もたかだか人間なので、メンタルの波は必ずある。

今週たまたま良く出来たが、来週もできるかはわからない。

それは娘も同じで、どうしても言うことを聞きたくない日もあるだろう。

 

これが本当に人間の難しい部分である。

 

ただ、出来る限り週末は家族の時間にフルベットする心持ちでいることが

自分で出来ることの一歩なんじゃないかと思った

 

その先のメンタルコントロールはまだこれからも磨いて行く必要がある

 

いやはや子どもとはどれほど学びを与えてくれる存在なのか計り知れない。

 

今の日本に元気がないのはもしかすると

現役世代に子どもを育てたことのない人が多いからなんじゃないかと思うほど

それほどまでに子育てとは親を育ててくれる営みであると感じた。

23/7/7

今日が七夕だということに今気がついた。

 

もちろん何かを願う余裕もない。

 

強いて言うならトレードで勝たせてくれ。

それなら切に願える。

 

今日も負けた。

1発目は指標ギャンブルに負けたが

2発目はちゃんと負けた。

 

皆さんは目の前のチャンスをみすみす逃した経験はどのくらいあるだろう?

 

俺は本当に数えきれない。数えたくもない。

今日も目の前でこれはイケる、というところで

攻めきれなかった。

 

こんな経験がいやと言うほどある。

本当に自分はトレードセンスがないと思う。

 

元々思い切りは無い性格だ。

周りが驚く、心配させるような決断は未だかつてしたことがない。

 

優柔不断とはまた違う。

 

単にめちゃくちゃビビりなのだ。

そしてプライドも高いが故に失敗したくない気持ちが出過ぎてしまう。

 

結果ここ1番の一手が出せない。

 

こんなやつが果たしてトレードで常勝できるようになるのだろうか?

 

「相場がいい時は勝つし悪い時は負ける」

 

頭ではわかっていてもどうしても

どうにか負けない方法を探してしまう。

 

その結果無難なリスクリワードに終始してしまうので

負けが混むと利益が全て無くなる、むしろマイ転してしまうのだ。

 

本当にトレードには向いていない性格だとしみじみ思う。

 

肝の太いギャンブラー気質な人が

トレーダーとして大成するんだろうなと

痛感した今日この頃である。

23/7/5

昨日は米国休場だったのでハナからトレードをする気はなかった。

 

そして今妻は週末体調を崩した事情により娘と実家に帰っている。

 

なので昨日一昨日と1人の夜だった。

 

ということで昨日は久しぶりに映画でも見ようかなとアマプラを物色。

 

普段映画を見る時は「ゆっこロードショー」さんという映画紹介チャンネルをされているYouTuberを参考にして選ぶのだが

この日はなんとなく気分で選んだ。

 

そして父になる

 

有名なタイトルで知ってはいたが見てはなかった。

別にこの監督が好きなわけでもないし何よりあんまり邦画は見ない。

 

だがなんとなく見てみた。そして食らった。

 

なんだか色々と考えさせられる映画だった。

現在進行形で父親である人は特に感じ入るところも多いのではないだろうか。

 

俺も今3歳の娘が1人いる。そして今妻は2人目を妊娠中である。

 

娘はどんどんできることが増えてきて遊ぶことがなにより楽しい時間な年頃になってきた。

 

いつも手を引いて「一緒に遊ぼうよ」と誘ってくれるが

普段からやっている家事や次の日の準備、週末は何かと掃除をしたり用事があったりと

遊びに付き合いきれないことも多い。

 

なるべく一緒に遊ぶ時間を作ろうとしているつもりだが

子どもに全てのスケジュールを合わせると間違いなく生活は回らない。

 

そのことを仕方ない部分もあると思っているが

今回の映画を見て考えを改めさせられた。

 

やはり子どもにとっては「一緒に遊んでくれる」というパパが一番好きなんじゃないかと。

 

父親の立場からすれば

頼りになって、色々物を知っていて、時にはしっかり間違いを正してあげられて

それでいてちゃんと稼いでくるような

そんな父親になりたいと思う。

 

だが、理想の父親になるにはもちろん自己研鑽、自己投資が必要になる。

現時点で理想の父親である人はいないだろう。

 

そうするとやはり時間は有限のため

睡眠を削ったりするのだが、そうすると

体調にも影響が出て、時に子どもに100%で応えてあげられない時も出てくる。

 

ましてや俺は現在兼業トレーダーで

平日夜はどうにか時間を空けたいと考える。

 

それはもちろん子どもの将来、家族の未来のために。

これからの楽しい思い出を作るためにやっているつもりだ。

 

だが、ここまで書いたことは

「子どもの知る由もないこと」である。

 

子どもはそんなことも関係なく

とにかく遊んでほしいし、遊んでくれる人が好きなのだ。

 

娘には好かれたい。

 

だからひたすら遊んであげたいが

それじゃ未来の為の種がまけない。

 

このジレンマ、パラドックス、解決策が見つけられない。

 

兼業FXパパトレーダーは本当に同じような悩みをかかえているんじゃないだろうか。

 

家の用事、その他の用事、子どもとの時間、妻との時間、そして自分の時間。

 

あまりにも時間が無さすぎる。

 

そんな俺はこの解決策を

「FXで生計を立てて仕事をやめれば仕事してた分の時間が空くだろう」

みたいなトンデモ楽観論で打破する予定でいるが

 

これができるのもまだまだ全く先が見通せていない。

 

映画を見て、色々考えて

なおさら今の状況はムズいことに改めて気がついた。

23/6/30

しんどい。

 

もうFXで稼ぐなんて無理なんじゃないかと思っている。

 

センスも微塵もない。

 

テクニカルも全く使いこなせない。

 

ギャンブルだと思ってやってもうまくいかない。

 

何か他のことに熱中しろという神様のお告げだろうか。

 

辛すぎる。